2015年10月01日

いのちと申すもの

人はこの世に一人で生まれ、一人で死んで往くものですが、その間には実に多くのものによって生かされて生きている存在です。
また人として命をいただくことは実に不思議な希有なことだとも教えられています。
その命を一生懸命に生き、また一つの事に生きがいを見出してその命を輝かしている人も大勢いて素晴らしいなと思います。
そのいのちを日蓮聖人は「いのちと申すものは一切の財(たから)の中の第一の財(たから)なり」と言われています。
 そのいのちを十分に生きるために私たち人間は様々な物質文明を発展させ、より良く生きようとしてきましたが、それがいつの間にかお金があれば、物が豊かにあれば幸せだと錯覚し、お金や物にこそ価値があるのだ。そのような宝物を沢山持っていることが素晴らしく幸せなんだと、命と物との価値観が反転してしまいました。
確かに、お金や物は幸せの一部ではありますが、それらを求めることにいのちや生活を費やすようでは大間違いで、人間本来の命の貴さは失われてしまいます。
お釈迦様は「何処へ赴こうとも、人は己以上に愛しいものを見出すことはできない」と言われています。
私たちは生まれた時に「命=生命力」と「寿命=時間」と「使命=大事ないのちを使って何をするのか」の『三つの命』をいただいてると教えられました。
私たちはこの世の中で一人の力だけで生きてゆくことはできません。一切衆生動植物全ての命に支えられて生かされています。その中で、第一の財である自分のいのちを、お釈迦様の教えにしたがって大事に大事に使いたいものです。
龍口寺貫首 本間 日恩
posted by 龍口寺 at 15:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 法話